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Report#012
私には四歳年上の兄がいる。
ちょうど兄の世代というのは漫画の「釣りキチ三平」のリアルタイム世代ということもあり、
釣りが流行っていた時代だった。
弟というのは兄の影響を多大に受けるもので
当然私も知らず知らずのうちに釣りをするようになっていた。
今でもはっきり覚えているのだが
3歳のとき初めて自転車に乗れるようになった次の日に
印旛水系の新川というところでクリンチノットを教えてくれたのも兄だ。
週末は兄と二人で親に車で船橋港や海浜公園や新川や印旛沼に
朝の内に連れて行ってもらって夕方に迎えに来てもらうということをよくしていた。
だから私の釣り歴は最低でも26年ということになる。
6歳になり小学校に入る頃になるとその釣り熱はさらに加速し、
家の中には親にねだって買ってもらった釣具や釣り雑誌が至る所に転がっていた。
創刊間もない「BASSER」や「少年つりトップ」など、
識字力の低い小学生低学年の頃にそんな読めもしない釣り雑誌を見開き、
ただただ大きな魚の写真を眺めていたのを思い出す。
その記事の中に私の釣り人生を左右する写真があった。
見た事もない鮮やかな色彩を放つ魚がネットに収まっていて、
記事にはこうあった、
”中禅寺湖のブラウントラウトを釣る”
その当時、中禅寺湖や芦ノ湖のトラウトは釣り人の憧れの魚で
今で言えば福井県九頭竜川のサクラマスのような特別な存在だった。
「いつか大人になって車の免許を取ったらこいつを釣りにいこう。」
三つ子の魂百までなんていうが本当にその通りで
免許をとって始めての遠出が中禅寺湖だったし、
二十歳のころは栃木県に通って渓流釣りばかりしていた。
しかしシーバスをやるようになっていつしかトラウトへの想いは次第に薄らいでいった。
そんな折、HIROポリスからお誘いを受ける。
「会社のリゾートマンションがただで利用できるから芦ノ湖の解禁いかない?」
断る理由なんてない。
小さい頃から夢にまで見ていた芦ノ湖のトラウト。
そのことばを聴いた瞬間、あのころの情熱がよみがえった気がした。
だが唯一気がかりなのは前回負傷した右手。
結局あの後、病院に行ったのだが
霜焼けだと思っていた右手はなんと凍傷だった・・・。
「船橋で凍傷になるのはルンペンかあなたくらいなものだ」
とお医者様に言われ、
「これ以上症状を悪化させたら二度と楽器は弾けないよ」
と、いさめられてしまった。
二月の芦ノ湖は氷点下があたりまえで、釣りの最中にガイドが凍るほど。
楽器を弾けないくらいなら死んだほうがマシだが
幼少期の夢を前に私を冷静にさせる力はなかった。
集まった面子は女性も含め4名で現地でもうお二方が合流。
2/23日は大会だということなので私達は
23日は観光をし、24日の一般特別解禁に参加することにした。
で、23日は昼に船橋を出発し、噴煙地で温泉たまごなどを食べつつ、
夜は「よし鳥」という焼き鳥屋で飲んで、(ジャコ大根がおすすめ)
温泉に入って部屋に戻り持ち寄った釣具をテーブルにぶちまけ釣りヲタ談義に花を咲かせ、
就寝。
24日
懸念された寝坊もなく、全員さくっとお目覚め。
さっそく車に乗り込み湖を目指すが
マイナス7度で路面凍結。
なんとか無事現場入りし、
湖面に立ち七時の釣り開始の花火を待つ。
周りにはさほどアングラーはいない。
湖面は風速5メーター以上の強風で波立ち、
ときより突風が吹き荒れる。
右手はすでに痛みを発し始めた。
七時ちょうどに花火があがった。
同時にみな一斉にキャスト。
私の立ちこむ位置から緩やかにブレイクになっており、
そのブレイクに岩やレイダウンが点在する。
ブレイクは干潟のそれより変化に富み、イメージを作りやすい。
そのブレイクを中心にミノーとスプーンで攻める。
開始早々、右側30m先に入ったセンダポリスにバイト。
早速の魚の反応に皆気合が入る。
悴んだ手でこまめにルアーチェンジをし、ルアーとスプーンの戦略はほとんど試す。
しかし、反応は全くない。
そこでもしものときのために持ってきていた自作メタルジグをスナップにつける。
このメタルジグは昨年メッキを一日に80尾以上釣った伝説のジグなのだが
バーチカル用に作ったのでキャスティングには向いてない。
そこで後方の部分を少し曲げ水噛みをよくする工夫をした。
狙うべきは目の前のブレイク上。
強風により波立っているせいか湖なのに流れを感じる。
その流れがブレイクエッジにあたるところをトレースした瞬間、
ぐっと押さえ込むようなアタリ。
いつもとは違いナイロンラインなのでアタリが明確に分からず、ロッドをあおり聞いてみる。
すると突然、魚が海面をを割り、回転しながら中を舞う。
50cmくらいのトラウトだ。
すかさずロッドをもう一度煽りフッキングを図ろうとするが抵抗がない。
巻いてみるとラインがスパッと切れている。
びっくり合わせをしたつもりもないし、変なものに引っかかった感覚もなかった。
きっとルアーが小さかったので飲みこまれブレイクしたのだろう。
芦ノ湖の標準ライン号数は8lbらしいのでその半分の4lbでは話にもならないのだろう。
それがわかっただけでも成果だったのかもしれない。
その後、三時間黙々とキャストを繰り返すが全く反応がない。
自分達だけ下手なのかと思ったが回りのアングラーも一本しか上がっているのを確認できなかった。
前日の春一番の強風でトラウトにとっては悪条件になってしまったのかもしれない。
沖に見えるボートは強風にあおられ意図しない方向へ流されているし、
大寒波よる急激な温度低下によりすぐにガイドが凍りつき、
ワンキャストに一回はロッドを水面下にいれ溶解させなければならない。
極めて釣り難い状況である。
10時頃になり、このまま回遊を待っていてもダメだろうということで
大きく場所を移動する。
移動した先も立ち込めるシャローエリアで砂利の底砂に
大きな岩や小さな岩といったポイントが点在する。
フックのないパカメタルジグで底をトレースすると
先ほどよりも比較的明確なブレイクがあることに気付いた。
フックを付けたルアーで底を取ると結構な割合で落ち葉を拾ってくる。
もしかしたらこのポイントは流れの終着点か巻き返しなのかもしれない。
正午が近づくとお日様がのぼり暖かくなってきた。
しかし、未だ氷点下なのかガイドはすぐに凍りつく。
このお日様のを利用しフラッシングで攻める作戦にでた。
選んだのは細めのパカメタルジグ。
これも後方を曲げ水噛みをよくする。
出来るだけ遠投してボトムを取ってからブレイクエッジに当てるくらいのレンジをトレース。
すると数等してまたもぐっと押さえ込むアタリ。
すかさずスウィープに合わせると
魚が海面を飛び出しエラ洗い。
しかし、トラウトのそれはシーバスとは違い、
天高く舞い、回転し、着水する。
どちらかといったらシイラに近い。
これがいかにもすぐに外れそうで緊張感を高める。
山々に囲まれた湖というシチュエーションの中、
こんな魚の姿を見てるとなんともいえない趣がある。
クラシックやヨーロッパ文学によくトラウトのエラ荒いの描写があるが、
ほかの魚とは趣を異にする特有のエラ荒いは人を感動させるほどの優美さを持っているのかもしれない。
そんな事を考えていたが魚のサイズがデカイのかメバルタックルでは弱いのか、
魚が全然よってこない。
周りには比較的大きな岩が点在しているので、こすったら4lbなどあっという間にブレイクしてしまうだろう。
となりにいたmakamiポリスにランディングを頼み、
最後の最後まで慎重に寄せてくる。
魚が見えた。
50cmくらいのレインボーだ。
寄ってきて尚、鼓動が早まる。
と、次の瞬間、
「バシャン!」
私の後方で何か大きなモノが着水する音。
とっさに振り向くとmakamiポリスがずっこけていて湖の中から顔を出している。
ここにきてそんなトラップがあろうとは予想だにせず
私の鼓動はさらにはやまる。
暴れる魚におぼれる署員。
階段を落ちる乳母車に襲い掛かるギャング。
シチュエーション的にはこの状況はアンタッチャブルだ。
となると私は差し詰めケビン・コスナーだな、
などとどうでもよい事を考えていると立ち上がったmakamiポリスがみごと魚をキャッチ。
51cm、1.4kg。
相変わらず写真を撮るのが下手なのでその太さが伝わらないと思うが
みごとなポットベリーにヒレピンの魚体。
側線周辺が朱色に色付き、うろこが陽光を銀に反射する。
当然レインボーなので外来魚なわけだけど
まるでネイティブのような風貌。
勝利を祝い皆で握手。
状況的には日が出てよくなってきているようだったが
makamiポリスの殉職一歩手前の勇気ある行動に敬意を表し
寒そうなのでこれにて捜査終了。
芦ノ湖の特別解禁日を訪れる人はこの釣りの難しさから年々減少しているというが、
確かに管釣りになれたアングラーには少々ストイックすぎて厳しいかもしれない。
しかし幼少期から夢見ていた魚が管理釣り場のように簡単に釣れてしまっていたのでは
感動も薄かっただろう。
本格的に湖でトラウトをやっている人にとって
50cmのレインボーなんて取るに足らない存在かもしれないが
あの魚の感触は今でも鮮明にこの手に残っている。
その右手は二度と使い物にならないかも知れないけれど・・・。